f丸の生態・デイリー

よく本を読んだり、たらたらかんがえごとをしている人のブログです。

基本的に毎日更新しています。
<< June 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
 
RECOMMEND
RECOMMEND
大映テレビ主題歌〜TBS編〜
大映テレビ主題歌〜TBS編〜 (JUGEMレビュー »)
テレビ主題歌, 高田みづえ, 麻倉未稀, MIE, 東京JAP
やっぱりレンタルすべきでしょうか?うーん、迷い中!!
SPONSORED LINKS
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | | - | -
失われた町 三崎 亜記
失われた町
失われた町
三崎 亜記
これはいい小説だと思いました。
分りにくい世界観、ぱっと理解できない語句表現、ややこしい筋立て、マイナス要素
ならばいくらでも思いつくのに、それを補うオリジナリティと矛盾しないままで最後
まで貫き通すパワーとスタミナを兼ねそろえた、繊細さと力強さどちらも
ある作品だと思いました。

「となり町戦争」だと戦争がひたひたと静かに周囲を満たしていく、実感の
湧きにくい静かな恐怖だけだったのに対して、この「失われた町」だと
突拍子もない設定で前作のそんなテイストを保ちつつも、「町が失われること」
への細部がしっかりとこだわりを持って作られていて、それに巻き込まれた人間の
生々しい痛みまでも表現しきっていて、前作の「伝わりにくい恐怖」という弱点を
克服していると思います。

文体も読みやすいですし、「バスジャック」がただのシュールで奥行きがない
小説に感じてしまったので、この作者は長編向きなのかもしれませんね。
適当なことを言うようですが、「バスジャック」も一遍一遍を三百ページくらいまで
引き伸ばしたら、すごく奥行きの広い物になったかもしれません。
って、すげー、好き勝手言っちゃった(汗)
文芸賞受賞作品ダブルス 「ヘンリエッタ」 「公園」
ヘンリエッタ
ヘンリエッタ
中山 咲
最近、話題性狙いとしての無理やりな弱年齢化ばかりが目に付くと
悪い評判が先行している印象を受ける文芸賞。
けれども、今年の受賞作の二作品はどちらも気骨のようなものを
感じる個性豊かな作品でした。

やはり綿谷りさ、糸山秋子を輩出した審美眼はなかなかまだ馬鹿にできません。
「黒冷水」以降、音沙汰なかった羽田圭介も前衛的なものを描いてきているし、
すごく勢いを感じます。

「ヘンリエッタ」は瑞々しくて若々しくて、個性豊かなあまりに逆に傷つきやすく
なってしまった若い女性たちの変わった日常を、細部にこだわって、それでも
ふんわりとしたタッチで描いている。
そのまんまよしもとばななや江国香織が好きなんだろうなぁと思わせる久しぶりの
「ガーリッシュな純文学」の直球でした。

「公園」はこれもまたばりばりの純文学。けれども、こちらの小説は「個と他者
との距離感」を表現した小説だと思うのに、ここ最近では珍しいくらいに人の
暖かさを排除した、人工的で無機質な小説。
どこまで行っても愛着が湧かない登場人物、起きなさそうだけど起きるかもしれない
くらいの不条理、どこまでいっても交わりそうで交わらない「個と集団」の
関係性が人を描写しているのにも関わらず、かちんかちんに整列している
のを見ているような不気味さ。
時系列の流れを無視して、作者(主人公の視線)が強引に時間を先送りするのも
またその効果を際立てている。なんか藤沢周とか古くで言うと安部公房ラインの
純文学だけど、その主旨一貫ぶりがあまりにもクール&ビューティーでナイス!!

個人的にはこういうのは大好きなんだけど、たぶん芥川賞とかにはあくが強すぎて
無視されてしまうんだろうなぁと思わずにはいられません。
どちらもおススメにはおススメですよ☆
きつねのはなし  森見 登美彦
きつねのはなし
きつねのはなし
森見 登美彦

独特な世界観を持ち続ける新鋭・森見登美彦。強引にたとえるならば、独白系の
童貞妄想小説(下品か)ということで阿部和重あたりにつながっているような
気がする・・実際問題にいちばん何に似ているかといえば「男おいどん」なんだが。
松本零次は純文学なのね。

けれども、今回の小説は京都を舞台に幻を描いた、死の色も濃くうちだした
落ち着きのある幻影的な小説でした。

中篇連作集で登場人物たちのあいだで光が当てられる部分が少しづつ変わって
いくところもとても好きです。
「一作目の脇役」が二作目で主役級の扱いで出てきて、「一作目の出来事は
嘘ばなしなんだ」というような凝った創りも、一話ごとの印象としては
弱くなりますが、連作集としての結びつきを強めて、全体としては逆に魅力的
なものとしていると思います。

けれども、自分の読み方も悪いのでしょうが、森見登美彦の場合、そういう
閉塞とか行き場のなさが他の具体的なものにまで昇華しにくいのが残念です。
たぶん、なにかそういうものを想定して書いているのあろうなぁとは思うの
ですが、今のところ、ちょっとそれがピンと来ないイメージです。

「太陽の塔」も「四畳半神話体系」も「もてない男の子たちの頭でっかちな
行き場のなさ」でまとめてしまわれるみたいに。これもなんか「ムードの
ある不思議な話だよ」で終わらせてしまいそうです。
生きてるだけで、愛  本谷有希子
生きてるだけで、愛
生きてるだけで、愛
生きてるだけで、愛

本谷有希子の小説を読むのはこれで三作目です。基本的にメンヘルものを
描く事が多い作家さんです。いいか悪いかは別として、メンヘルはもう完全に
最近の純文学のトレンドとなっているようですね。

松尾スズキとか糸山秋子でも思ったのですが、なんか半分ギャグみたいに描くのが
さらにまたトレンドのようです。まぁ、重く描けば昔のロシア文学と似ているように
なるのかな?とあんまりロシア文学なんて読んでもいないのに、考えてしまうと
それならば新しい流れとか動きとして定着していくのかなとも思ってしまいます。

そんな中でもこの小説は瞬間を意識して描いている事が多いとも感じました。
表紙にもある富士山と波の絵みたいに、ある一瞬、その特定の気持ちや瞬間を
とくにクローズアップさせている印象。

あと、遠ざかっていく、いなくなっていく、ことが静かに淋しげに表現されています。
基本的に暴走的で周りが見れない主人公の独白的な独りよがりっぽい文章なのに
たまに垣間見ることができるそれが、やはり、しんときます。
かもめ食堂 群ようこ
かもめ食堂
かもめ食堂

群ようこの小説なんて、どれだけの間読んでいないんだろう。
有名な「無印良女シリーズ」にまったくノータッチな自分が思い
返してみれば、「モモヨまだ〜」でした。

あぁ、モモヨ。あの小説は面白かった。モモヨがなんかすごいかわいら
しいばーちゃんで。たしか、モモヨって清原が大好きで、この本の中
だと「西武の清原様が大好き」となっていたんだよね。

今は、清原はオリックス・・・モモヨは生きていたら、何歳・・?

遠い目をついしてしまいましたが、それでいてこの小説です。

話の内容が全体的にゆるゆるでつっこみどころ満載!
でも、この小説を読む人で「こんな小説ありえない!」と怒り出す
人はいないはず。だって「かもめ食堂」だもの。

そうやって、理由になっていない理由で形をつけようとしてしまいま
したが、本当にその強引さとゆるさの小説です。

急に思い立ってフィンランドでレストランを経営しようとするのも
無茶ならば、その元手を年末ジャンボ宝くじであててしまうのも無茶。

ガッチャマンが大好きなフィンランド人だとかそういうリトル無茶も含
めて、最後の最後までたくさんの無茶をOKにしてしまうゆるさが魅力
でした。

まほろ駅前多田便利軒 三浦しをん
まほろ駅前多田便利軒
まほろ駅前多田便利軒

タイトルがダサいですね。まず、そんなところから全否定しちゃうのも
どうなのかとも思ってしまいますが、こういうタイトル少し考えてみた
だけでも、たくさん出てきますね。

「昭和」というかそれだけじゃなく「昭和的」を好むゾーンの中に延々
と受け継がれていくエバーグリーンな世界。乱暴に言ってしまえば「ト
ミーとマツ」とか「あぶない刑事」とかのあの流れ。って!それは警察
じゃん!

脱線はこのあたりにしておきまして、内容。
可も不可もなく、普通の「便利や」モノ。ちょっとした謎を解決しまく
りますが、そのちょっとした謎は加納朋子とか北村薫系じゃない、
「人と人との心の襞」の解決。

それが全部、東京なのか神奈川なのか、都市なのか田舎なのか分からない
まほろ市的な「グレーゾーン」を起因としているもので、最終的にはそれ
が主人公二人の、「親子なのかどうか」「友人なのかどうか」的グレー
ゾーンに話が収束していく展開。

うーん、でも、個人的には「私が語り始めた彼は」みたいな鈍痛が
終わらないような話のほうが好きだなぁ。
平成マシンガンズ 三並 夏
平成マシンガンズ
平成マシンガンズ
三並 夏
あまりいい評判を聞かない本作です。
だからこそ、なお、真平な気持ちで「十五歳の書いた小説」「文芸受賞」やそのほかの書評サイトのレビューを気にしないで読み進めてみようと思いました。
けれども、やはり自分の意見ではこれは「よくない」と思いました。

句点さえもほとんどない+独白系の舞城、町田系の文体。
普通、こういう文体だと「読みにくさ」が印象として先行するのに、なぜかそれがしない。個人的な読み方なので、それを適用してしまうのは問題があるでしょうが、自分が舞城・町田あたりを読むと、必ず三十ページに一度くらいはうまく意味がとれなくて、読み返す部分があるのに、「平成マシンガンズ」ではそれがありませんでした。

だからと言ってこうだと決め付けるのはそれも問題があると思いますが、この作品はかなり書いてある内容が通り一遍のものだと思うのです。

「若い女の子」が主人公の「純文学」作品というと、「蹴りたい背中」や「蛇にピアス」などが印象深いところなのでしょうが、自分はそういう作品が評価されるのは「既存の作品ではあまり表現されていなかった感情が描写されているから」だと思っています。

けれども、この「平成マシンガンズ」で描かれている感情は「親父の愛人も自分をいじめるクラスメイトも分かってくれない先生もみんなむかつく。だから殺してしまいたい」というただの殺意に近い「逆ギレ」だと思います。

それでしたら、自分が同時期に読んだ「少女には向かない職業」や貴志祐介の「青の炎」のような「十代の憎しみが殺意に変わり実行に移す。そして、その後に苦しむ」という種のエンタメ小説の中途半端な状態で終わってしまったものだと思うのです。

「蹴りたい背中」ですと、自分が「みんな」から排除された憎しみ。そして、もう一人はずされたにな川への仲間意識。けれども、そこににな川への「蹴りたい」という倒錯した感情があったから評価されたと思うのです。

けれどもこの「平成マシンガンズ」にはそういった倒錯した感情がありません。ただの素直な「ムカツキ」しかありません。

矛盾とそれを解決するためのジレンマを描くのが自分は純文学だと思っています。この小説はその前提の時点でもうアウトだと思うのです。

にぎやかな天地 宮本輝
にぎやかな天地 上
にぎやかな天地 上
宮本 輝
すみません。はっきり言って、面白くなかったです。
もともと、最近の宮本輝の長編小説は「約束の冬」とか読んでいても、あまり気分がのらなかったのですが。これも、また。
なんだかテーマが「人間の生きる苦しみ」を中心にしていることは別にいのですが、それならば白石一文のほうがうまく機能しているような。

糠床をモチーフにした眼点ならば、梨木香歩の「沼地のある森を抜けて」のほうが空想にまで足を踏み入れていて、なんか人知の及ばないところまで書いちゃうぞ!という積極的な感じがしてナイス!だったと思うし。

タイトルも中身も、糠床も人生もにぎやかで蓋を開けてみないと分からない。だから、面白い。というだけのような・・・

もう、短編小説は書いてくれないのでしょうか?輝先生は?新聞連載しかしないのですか?少し、間違えると渡辺ずんいちセンセになりそうですよ・・
東京奇譚集 村上春樹
東京奇譚集
東京奇譚集

春樹センセ新作です。

不思議なテイストの話しの5連発でしたが、別に何の抵抗なくいつものようにするっと読了してしまいました。
知人からいつもとやや違う春樹とうかがっていたのですが。

自分の解釈ですが、村上春樹という作家の主題は自分と他者のあいだの「奇妙」です。
その合い交われない部分を追い求めて、納得する作業が春樹的小説の読み方の中心だと思うのです。その最後の部分を「喪失」なのか「他者への尊重」ととるのは好みの問題だと思います。

この短編集ではその「奇妙」の位置の取り方がかなり淡白です。
ゲイや幽霊の話などもあるため「奇妙」という点ではばっちし当てはまるのですが、比較でものを言う事はなんにもなりませんが、よくありふれたモチーフですし、なによりも相変わらずのアーバンな春樹テイストのなかでは、そんなもん完全に埋もれてしまうのです。

初めて村上春樹を手に取った人ならば、自分のような読み方はできないで、オチも盛り上がりもないどうでもいい話としかとれない危険性も十分にありえます。これじゃ「奇憚」ではないでしょう。

でも少なくとも自分はこういう淡白な昭和の文豪で言うならば、川端康成的な大人の味わいの小説はけっこう好きです。

新しい局面というと今更ですが、これから小道具と変化を奪うと、保坂和志になって、個人的にはあまり好きじゃない方向になってしまうのがなんか怖いです。

慣れている作家さんということもあって、一時間かからずにさらっと読めたし。あっ、そこがうまく読み取れていない原因なのかも???もしかして。
桃色トワイライト 三浦 しをん
桃色トワイライト
桃色トワイライト
三浦 しをん
二十代男性ですが、どうどうっとこのカバーをレジに持っていきましたよ!
どうどうっと!文句は言わせません!

とりあえずしをん様、本作でもぐだぐだしていますね。
オダギリジョーですか。なんかこの人はいつも男のことと、マンガのことばかり考えておられるのですね。たいそう幸せなのでしょう。

そう思うとなんだかすごくうらやましくなってきました。

しかし、昔ダヴィンチで一条ゆかりについての文章を読んだ時は、すごく几帳面な文体で、その細くて鋭い目つきと意味なく関連させて、「やはりA型作家はちがうなぁ」とかよく分からない感想を抱いてしまいましたが、
その後、いろいろなエッセイを読むと・・・うーん。

あ、あと鷺沢恵も生前エッセイでしょっちゅう「風呂が嫌い。風呂が嫌い」と言っていました。鷺沢恵もくだらないことですがA型でした。